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仙台高等裁判所 昭和26年(ナ)24号・昭26年(ナ)23号 判決

原告 古木安太郎 外十八名・吉田美一 外四名

被告 青森県選挙管理委員会

一、主  文

昭和二十六年四月二十三日に行われた青森市議会議員の一般選挙の当選の効力に関する和田末吉外十三名からの訴願について、被告が同年十月十二日附でした裁決、即ち、古木安太郎外十八名(昭和二十六年(ナ)第二三号事件の原告等十九名)の当選を無効とする旨の裁決を取消す。

昭和二十六年(ナ)第二四号事件原告等の請求を棄却する。

訴訟費用中、(一)昭和二十六年(ナ)第二三号事件につき生じた分は、参加により生じた分を除き、その余を二分し、その一を同事件原告等、その一を同事件被告の各負担、参加により生じた分を、同事件被告補助参加人等の負担とし、(二)昭和二十六年(ナ)第二四号事件につき生じた分は、鑑定のために要した分を除きその余を六分し、その四を同事件原告等、その一を同事件被告、その一を同事件被告補助参加人等の各負担、鑑定(鑑定人当麻武男、田村収一)のために要した分を同事件原告等の負担とする。

二、事  実

第一、昭和二十六年(ナ)第二三号事件

原告等訴訟代理人は、「昭和二十六年四月二十三日に行われた青森市議会議員の一般選挙の当選の効力に関する和田末吉外十三名からした訴願について、被告が同年十月十二日附でした裁決を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として、

一、原告等は、昭和二十六年四月二十三日行われた青森市議会議員の一般選挙に立候補し、選挙会において当選人と決定された。

二、青森市議会議員の定員は三十六名であつて、右選挙の開票は第一乃至第十の各開票区で行われたのであるが、同選挙における立候補者の氏名、選挙会において決定した各開票区別有効投票数、各候補者の得票総数及び各開票区における候補者別得票数は夫々別紙第一表記載のとおりであつて、三十六位まで当選人と決定されたのである。

三、然るに、訴外和田末吉外十三名は、昭和二十六年四月三十日右選挙の当選の効力に関し青森市選挙管理委員会に対し異議を申立てたところ、同委員会は同年五月十八日右異議を棄却したので、同訴外人等は、更に同年五月二十八日被告に対し訴願をしたところ、被告は同年十月十二日青森市選挙管理委員会のした右異議棄却の決定を取消し、前記当選人中原告十九名の当選を無効とする旨の裁決をし、その裁決書は同月十三日原告等に交付された。

四、被告が原告等の当選を無効とした理由は、別紙第二表記載の1乃至108の投票(その所属開票区は同表記載のとおりである)合計百八票は左の理由により無効であるから、これを各当選人の得票中から控除すると、原告等の得票数は次点者の得票数より少くなるから、原告等の当選は無効とすべきであるというのである。即ち、別紙第二表記載の

(一)  1乃至94の九十四名の者は、いずれも選挙当時青森市に住所を有していなかつた。

(二)  95乃至103の九名の者はいずれも朝鮮人であつて日本国民でない。

(三)  104乃至106の三名は選挙当時死亡している。

(四)  107、198の一名は戦時中応召し、選挙当時未だ帰還していない。

従つて(一)、(二)の投票は選挙権のない者による投票であるから無効であり、(三)、(四)の投票は、何人かが(三)、(四)の者にかわり不正に投票したものであるから無効である。

というのである。

五、しかし

(一)  別紙第二表記載の1乃至94(但し61、64、93を除く)の者は夫々別紙第二表原告主張の住所欄記載のとおり本件選挙当時青森市に住所を有し、選挙権を有していたのである。61菊地きくゑ、64島田みさを93川村君代の三名は、いずれも投票をしていないのである。尤も、きくゑの義妹勝江が間違つて、同人の入場券を持つて投票所に行き投票した事実があるが、勝江は青森市に住所を有し、基本選挙人名簿に登載されている者である。又君代の弟川村登の妻ミツヨは旧姓を佐々木といい、登と婚姻前は青森市油川に住所を有し基本選挙人名簿に登載された有権者であるが、同人に投票所の入場券が来なかつたので、君代の入場券を持つて投票所に行き投票したのである。従つて、右勝江、ミツヨの投票は無効とすべきではない。

(二)  別紙第二表記載の95乃至103のうち99を除く八名は朝鮮人ではあるが選挙無資格者ではない。

98朴田吉雄は投票していないのである。

99岡田ツルは昭和二十五年一月二十七日朝鮮人朴達享と婚姻したが、未だ日本の国籍を失つていないから選挙無資格者ではない。

(三)、(四)、別紙第二表記載の104乃至108の五名は死亡者又は不在者ではない。

以上の理由により、被告が別紙第二表記載の1乃至108の投票を無効としたのは違法である。

六、仮りに別紙第二表記載の1乃至108の投票が無効であるとしても、右無効投票を各当選人のみの得票数から控除して原告等の当選を無効としたのは違法である。

よつて本件請求に及ぶと陳述した。(証拠省略)

被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。」との判決を求め、答弁として、

一、原告主張の事実中、一乃至四は認めるが、五、六は争う。

二、別紙第二表記載の1乃至94(但し58、78、79、82、94を除く)の者は、いずれも本件選挙当時、夫々別紙第二表被告主張の住所欄記載の場所を住所とするものであつて、青森市には住所を有していなかつたから、選挙権がなかつたのである。

58、西川千代子は、昭和二十五年十月二十五日青森県東津軽郡野内村大字浅虫字螢谷二十番地平田広治と婚姻し、同所に居住していたのであるが、昭和二十六年三月同人と離婚し、青森市堤博労町の実家に帰り居住しているのである。従つて、選挙当時、青森市に住所を定めてから未だ三ケ月に満たないから、選挙権を有しなかつたのである。

78、野呂サダは、青森市北金沢町に居住していたのであるが、昭和二十五年十月二十日無断家出し、居住不明の者であるから同人の投票は何人かが同人の氏名を詐つて投票した無効のものである。

79、葛西政吉は昭和二十五年九月十二日青森市大野字北金沢から青森県東津軽郡新城村に転居し、その後昭和二十六年三月十日青森市西古川寺山方に転住したものであるから、同日から本件選挙当日まで未だ三ケ月に満たず選挙権を有しなかつたのである。

82、工藤つまは、昭和二十六年一月二十日弘前市富田字富野二番の十四、紀元弥助と婚姻し、同所に居住していたところ、同年四月十一日離婚し青森市に居住するに至つたのであるが、以来選挙当日まで三ケ月になつていないから選挙権がなかつたのである。

94、大泉サツは青森市旭町に居住していたのであるが、昭和二十五年九月二十日夫大泉常二と離婚し、青森県南津軽郡野沢村大字樽沢の実家に帰り、同年十月二十三日から青森市山の手古村方に居住していたところ、昭和二十六年一月八日青森県上北郡下田村向山某と婚姻し、同所に同棲していたが、同人とも離婚し同年三月二十八日から再び青森市に居住するに至つた者で、以来選挙当日まで三ケ月にならないから選挙権がなかつたのである。

(一) 別紙第二表記載の95乃至103の者は、いずれも朝鮮人であるから、公職選挙法附則第二項により選挙権が停止せられ、当時選挙資格がなかつたのである。

(二) 別紙第二表記載の

104蝦名金之助は、昭和二十六年四月十二日不在者投票をしたのであるが同月十六日死亡した。

105坂本小太郎は同年四月十六日不在者投票をしたのであるが、同月十八日死亡した。

106齎藤兵太郎は同年四月二十一日不在者投票をしたのであるが、同月二十二日死亡した。

(四) 別紙第二表記載の107太田定雄は昭和十九年九月東部第六十九部隊に、108太田健治は同年七月東部第七十二部隊に召集され、いずれもその後渡満したのであるが未だ帰還せず、現在消息不明のものであるから、同人等の投票は何人かが同人等の氏名を詐つて投票したものである。

以上のとおりであつて、別紙第二表記載の1乃至108の百八名の投票は全部無効とすべきであつて、その何人に投票せられたものであるかは不明であるから、当選人の一人々々について右百八票の無効投票が投ぜられたものと仮定してその得票数からこれを差引くときは、原告等の得票数は最高位落選者の得票数より少く、原告等は右無効投票によつて当選に影響を受けるから原告等の当選を無効としたのは違法ではない。

と述べた。(証拠省略)

第二、昭和二十六年(ナ)第二四号事件、

原告等訴訟代理人は、「昭和二十六年四月二十三日に行われた青森市議会議員一般選挙の当選の効力に関する原告等外九名からした訴願について、被告が同年十月十二日附でした裁決中、原告等の訴願を棄却した部分を取消す。右選挙における当選人中、三上惣之進、対馬英蔵、秋谷専蔵、成田幸三、川越武次郎、田中四郎、福田敬治、千葉繁蔵、佐藤由蔵、太田重吉、岡田義雄、中村民一、鈴木大観、羽賀銀次郎、木村繁吉の当選を無効とする、訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として

一、原告等は、昭和二十六年四月二十三日行われた青森市議会議員の一般選挙に立候補したものである。

二、青森市議会議員の定員は三十六名であつて、右選挙における立候補者の氏名及び各候補者の得票数は、各別紙第一表記載のとおりであつて、第一位以下第三十六位まで当選人と決定されたのである。

三、原告等外九名は、右選挙の当選の効力に関し、昭和二十六年四月三十日青森市選挙管理委員会に異議を申立てたところ、同委員会は同年五月十八日右異議を棄却したので、原告等外九名は更に被告に訴願したところ、被告は、同年十月十二日、前記選挙会において有効とせられた投票中、帰属不明の無効投票百八票の存在を認め、別紙第一表記載の第三位当選人三上惣之進以下の当選を無効とすべきであるとの原告等の訴願に対し右第三位以下第十七位当選人木村繁吉までの十五名の者の当選を無効とすべきであるとの部分を棄却し、第十八位当選人古木安太郎以下第三十六位当選人間山美都夫まで十九名のみの当選を無効とする旨の裁決をし、右裁決書は翌十三日原告等に交付せられた。

四、しかし、選挙会において有効と認めた投票中には、被告が前記無効と判定した百八票の無効投票のほかになお帰属不明の無効投票二百六票が混在している。即ち、別紙第二表記載の

(一)  109乃至192の八十四名はその住所地がいずれも青森市大字造道字波打の地域に属するものとして選挙人名簿に登載されており、同人等は本件選挙に投票した。

しかし、右八十四名の住所地の地域はいずれも青森県東津軽郡浜館村大字松森字佃の地域に属するものであつて、青森市の地域に属するものではない。従つて、右八十四名は本件選挙の選挙権を有しなかつたのであるから、その投票はいずれも無効である。

(二)  193乃至201の九名は、青森県東津軽郡大野村字片岡に住所を有する者であるから、本件選挙の選挙権がないのに拘らず投票している。従つてその投票はいずれも無効である。

(三)  202乃至220の十九名は、いずれも各本人は投票しなかつたのに拘らず、第三者がこれ等の者の氏名を使用して不正に不在者投票をしたものであるから、右十九名の投票はいずれも無効である。仮りに各本人が不在者投票をしたとしても、右十九名はいずれも本件選挙当日青森市に住所を有せず、選挙権がなかつたのである。

(四)  221井筒精一は投票しなかつたのであるが、何人かが同人であるように装い、投票したものであるから、その投票は無効である。

(五)  222乃至224の三名は、いずれも本件選挙当日以前に死亡したのであるが、選挙人名簿にその氏名が登載されたままであるのを奇貨とし、何人かがそれぞれ同人等であるように装い投票したものであるからその投票は無効である。

(六)  225乃至314の九十名は、本件選挙当日前既に夫々別紙第二表の原告主張の住所欄記載の住所に転居し、本件選挙に投票しなかつたのであるが、何人かが、それぞれ同人等であるように装つて投票したのである、仮りに、各本人が投票したとしても、同人等は本件選挙当日青森市に住所を有せず、選挙権がなかつたのであるから、その投票はいずれも無効である。

五、よつて右無効投票合計二百六票と前記無効投票百八票とを合せ各当選人の得票数から控除すると、被告が当選を無効と裁決した別紙第一表記載の第十八位当選人古木安太郎以下第三十六位当選人間山美都夫まで十九名のほか、第三位当選人三上惣之進以下第十七位当選人木村繁吉までの十五名の得票数は、最高位落選者の得票数より少くなるから、別紙第一表記載の第三位当選人三上惣之進以下十七位当選人木村繁吉まで十五名の当選も無効である。

よつて本件請求に及ぶ次第である。

と陳述し、被告補助参加代理人の主張に対し、

滝内村が本件選挙前青森市に合併になつたことは、争わない。

と述べた。(証拠省略)

被告訴訟代理人は、「原告等の請求を棄却する。」との判決を求め、答弁として、

一、原告等の主張事実中、一乃至三は認める。

二、原告等主張の四の中

(一)  別紙第二表記載の109乃至192の八十四名の住所地が青森市大字造道字浪打の地域に属するものとして青森市選挙管理委員会作成の選挙人名簿に登載されたこと、右八十四名中(1)114、127、145、146、150、151、156、161、166、167、168、169、171、174、175、176、177、179の十八名及び(2)、181、182、183、の三名を除きその他の者が本件選挙に投票したことは認めるが、その他の主張事実はこれを否認する。右八十四名の住所地はいずれも青森市大字造道字浪打の地域に属するものであつて、青森県東津軽郡浜館村大字松森字佃の地域に属しないのである。従つて、右投票した者はいずれも本件選挙に選挙権を有していたからその投票は無効ではない。右(1)の十八名は本件選挙に投票していない。又(2)の三名は公職選挙法施行令第十七条の規定により選挙人名簿から抹消せられ、本件選挙に投票しなかつたのである。

(二)  別紙第二表記載の193乃至201の九名中、198・199・200・201の四名が本件選挙に投票したことは認めるが、その他の事実は否認する。右四名は夫々別紙第二表被告主張の住所欄記載のとおり選挙当時青森市内に住所を有していたのであるから、その投票は無効ではない。

193は青森市の基本選挙人名簿に登載されているが、本件選挙に投票していないのである。194・195・196・197の四名は青森市の基本又は補充選挙人名簿に登載されておらず、本件選挙に投票していないのである。

(三)  の事実は否認する。

別紙第二表記載の213は本人は勿論第三者が本人にかわつて投票した事実はない。

202、204、208、209、215の五名は、選挙の当日本人が投票したのであつて不在者投票はしていない。右五名は別表第二記載のとおり選挙当時青森市に住所を有し、選挙権があつたからその投票は有効である。

203、205、206、207、210、211、212、214、216、217、218、219、220、の十三名はいずれも本人が不在者投票をしたのであつて、選挙当時別紙第二表記載のとおりいずれも青森市に住所を有し、選挙権があつたからその投票はいずれも有効である。

(四)  の事実は否認する別紙第二表記載の221は本人が投票したのである。

(五)  別紙第二表記載の222乃至224の三名が本件選挙当日以前死亡したことは認めるが、その他の事実は否認する。右三名は、各本人は勿論、第三者が同人等を装つて投票した事実もない。

(六)  の事実は全部これを否認する。

別紙第二表記載の225乃至314の九十名中225、228、232、236、243、246、247、251、254、261、262、266、281、282、287、294、299、の十七名は選挙人名簿に登載されているが、各本人は勿論、第三者が各本人を装つて投票した事実はない、又238・295・296・301・302・307の六名はいずれも青森市の選挙人名簿から削除され又は名簿に登載されておらず、投票しなかつたのである。その他の六十七名はいずれも各本人が投票したのであつて、本件選挙当日夫々別紙第二表被告主張の住所欄記載のとおり青森市に住所を有して選挙権があつたから、その投票は有効である。

よつて、原告等の請求は理由がないものである。

と述べた。(証拠省略)

被告補助参加人等代理人は、

一、別紙第二表記載の229の原告主張の住所滝内村は本件選挙前青森市に合併せられていたから、公職選挙法第九条第五項によつて同人は本件選挙につき選挙権があつたのである。

二、本件選挙の開票は第一乃至第十の各開票区で行われたのであるが、選挙会において決定した各開票区における有効投票の総数及び各立候者の各開票区における得票数はそれぞれ別紙第一表記載のとおりである。

三、原告が無効であると主張する別紙第二表記載の109乃至314の二百四名の投票の開票区は、夫々別紙第二表記載のとおりである。

と述べた。(証拠省略)

三、理  由

(以下昭和二十六年(ナ)第二三号事件の原告等を単にA原告と、同甲号証をA甲号証と、同乙号証をA乙号証と同証人をA証人と略称し、昭和二十六年(ナ)第二四号事件の原告等を単にB原告と、同補助参加人をB参加人と同甲号証をB甲号証と、同乙号証をB乙号証と、同丙号証をB丙号証と、同証人をB証人と、同鑑定人をB鑑定人と、同検証の結果をB検証の結果と略称する。)

A原告主張の一乃至四の事実、及びB原告主張の一乃至三の事実は、それぞれ被告の認めるところである。よつて、以下別紙第二表記載の1乃至314の三百十四名の投票の効力につき順次判断する。

第一、被告が無効としたもので、A原告が無効でないと主張する分(1乃至108)

1乃至108のうち、61、64、78、93、98、107、108の七名を除くその余の百一名が本件選挙に際し、各本人が投票をしたことは、A原被告の間に争がない。

1乃至6。A証人小林きゑ、羽賀イサ、関きみよの各証言によれば、1乃至6の六名はいずれも青森市松原町に居住していたのであるが、1、2両名は、昭和二十五年七月二十日から、3、4両名は昭和二十三年十一月から、5、6両名は昭和二十三年十二月から夫々別紙第一表の被告主張の住所欄記載の場所に移転し、本件選挙当日同所を生活の本拠として居住しているのであつて、たまたま右移転先が旧住居の近くであつたり、配給や子供の学校の便宜等から転出の手続をしなかつたにすぎない事実が認められるから、同人等はいずれも本件選挙当日青森市に住所を有しなかつたものといわねばならない。

7乃至16。A証人土嶺あい子、大南ミヤ、小泉ちゑ、山部きくゑ、中村ハツヱ、佐々木サナの各証言によれば、7乃至16の十名は、いずれも青森市松原町に事務所を有する和田寛食糧工業株式会社に、本人又は家族が勤務し、夫々別紙第二表記載の被告主張の住所にある右会社の社宅に他から転居し、本件選挙当日同所を生活の本拠としている者であるが、9、10、15、16、の四名は前の住所が青森市松原町で右社宅と近距離にあるため、青森市から転出の手続をせず又、7、8、11乃至14の六名は配給の便宜上、右社宅に転入の手続せず近距離にある右会社の事務所に転入の手続をしたに過ぎず、同人等の住所はいずれも本件選挙当日青森市になかつた事実が認められる。

17、A証人小山てるの証言及び同証言により成立を認め得るA甲第十四号証によれば、17は昭和二十四年九月十六日別紙第二表記載のA原告主張の住所から被告主張の住所欄記載の場所に転居し、以来同所を生活の本拠としているものであるが、ただ配給の便宜上、同住所から転出の手続をしていなかつたに過ぎず、本件選挙当日は青森市に住所を有しなかつた事実が認められる。

18、A証人田沢田鶴子の証言及び同証言により成立を認め得るA甲第十五号証によれば、18は国有鉄道青森駅に勤務し、昭和二十三年十一月頃から、別紙第二表記載の被告主張の鉄道公舎に居住し、同所を生活の本拠としているものであるが、ただ同人の妻田鶴子が腸結核を患い青森市内の病院を転々したため、その看護の便宜のため、A原告主張の柴田賢之助方に間借していたにすぎず、本件選挙当日は青森市には住所がなかつた事実が認められる。

19、20、A証人細田禎子の証言によれば、19、20の両名は昭和二十三年十一月頃別紙第二表記載のA原告主張の住所から被告主張の住所欄記載の場所に転居し、以来同所を生活の本拠としている者であつて、ただ配給の便宜上、転出の手続をとらなかつたに過ぎない事実が認められるから、両名は本件選挙当日青森市に住所を有しなかつたものといわねばならない。

21、22、A証人羽賀カツの証言によれば、21、22両名は別紙第二表記載の被告主張の住所に居住していたのであるが、21が本件選挙に立候補するため、21だけ住所をA原告主張の住所欄記載の場所に移したところ、当選すれば鉄道員の職を辞めなければならないことが判明したため、候補者たることを辞するとともに、再び被告主張の住所に戻り、本件選挙当日には、両名とも青森市に住所がなかつた事実が認められる。

23、A原被告間に成立に争のないA乙第三十二号証の二によれば、23は昭和二十六年四月十六日金沢市に転居し、本件選挙当日は青森市に住所を有しなかつた事実が認められる。

24、A原被告間に成立に争のないA乙第三十三号証の二とA証人工藤悟郎の証言によれば、24は昭和二十二年七月から、別紙第二表の被告主張の住所欄記載の場所に転居し、同所を生活の本拠としているのであつて、本件選挙当日青森市に住所を有しなかつた事実が認められる。

25、A証人高橋彦男の証言によると、25は青森市合浦町の住居に継母と同居し、青森駅構内理髪部に勤めていたのであるが、伊藤とし子と婚約したので、結婚の費用を準備する必要に迫られ継母と同居することにより継母に提供しなければならない食費を節し、右費用にあてるため、昭和二十六年一月、別紙第二表記載の被告主張の鉄道寮に転居し、伊藤とし子と結婚のうえは、別に一家を構え、継母とは同居する意思がなかつたことが認められるから、同人は、青森市合浦町から前記鉄道寮に住所を移転し、本件選挙当日には青森市に住所を有しなかつたものといわねばならない。

26、27、28。A証人島中栄作の証言によれば、26、27、28の三名は昭和二十五年十月十一日別紙第二表記載のA原告主張の住所から被告主張の住所に移転し、本件選挙当日青森市に住所を有しなかつた事実が認められる。

29、30、31。A証人柴田正利の証言によれば29は青森市造道字浪打にあつた青森女子高等学校の小使であつて、30はその妻、31は息子であるが、共に同校内に居住していたところ、昭和二十六年四月から同校が青森高等学校に統合され、校舎が筒井村に移転したため、右移転と共に筒井村の校舎に居住し、本件選挙当日は同所を生活の本拠とし、青森市には生活の本拠を有しなかつたことが認められるから右三名は、本件の選挙当日は青森市に住所を有しなかつたものといわねばならない。

32、33、34。A証人奈良鉄男、奈良イチの証言によると、32、33、34の三名は昭和二十六年三月三十一日青森市から別紙第二表記載の被告主張の住所に転居し、本件選挙当日青森市に住所を有しなかつた事実が認められる。

35、A原被告間に成立に争ないA乙第三十八号証の二、A証人木村嘉市の証言(第一回)により成立を認め得るA甲第二十二号証とA証人佐藤ツナの証言を綜合すると、35は昭和二十六年一月頃から同年六月まで青森県南津軽郡大鰐町福井ちゑ方において酌婦をしていたのであるが、それまでは青森市大字八重田字磯野四十八番地に母ツナと共に居住し、ちゑ方に来てからも度々ツナ方に帰り、農事の手伝をしており、ツナ方を生活の本拠としている事実が認められるから、35は本件選挙当日青森市に住所を有したものといわねばならない。

36、A証人倉内佐市郎の証言によると、36は昭和二十六年二月妻子と共に青森市から八戸市鮫町に転居し、本件選挙当日には青森市に住所を有しなかつたことが認められる。

37、A証人郡場愛子の証言によると、37は昭和二十六年四月五日頃青森市から別紙第二表の被告主張の住所欄記載の場所に転居し、飲食店を営み、同所を生活の本拠としている事実が認められるから本件選挙当日は青森市に住所を有しなかつたものといわねばならない。

38、A証人南やよの証言によると、38は青森市大字造道字浪打四百九十四番地に母やよと同居し国家地方警察青森県本部に勤務していたところ、昭和二十六年一月八戸市青森県労務管理事務所に転勤したので勤務の便宜の為八戸市内に下宿したのであるが、同人は独身である関係上、依然青森市の母やよの家を生活の本拠としていた事実が認められるから、同人は本件選挙当日青森市に住所を有したものといわねばならない。

39、40、A原被告間に成立に争のないA乙第四十二号証の一、二A証人木村嘉市の証言(第一回)により成立を認め得るA甲第七十二号証によると、30、40は昭和二十六年十月頃別紙第二表記載のA原告主張の住所から被告主張の住所に転居し、本件選挙当日は青森市に住所を有しなかつた事実が認められる。

41、A証人仁尾悦子の証言によると、41は昭和二十五年十一月仁尾拓と婚姻し、同年十月頃から別紙第二表の被告主張の住所欄記載の場所に居住し、以来同所を住所としている事実が認められるから、同人は本件選挙当日は青森市に住所を有しなかつたものといわねばならない。

42、A原被告間に成立に争のない、A乙第四十四号証の一、二によれば、42は、青森市大字浦町字野脇に妻きくと居住していたのであるが、昭和二十六年三月十日事実上離婚し青森県東津軽郡横内村大字野尻字野田二十八番地に転居した事実が認められるから、42は、本件選挙当日青森市に住所を有しなかつたものといわねばならない。

43、A原被告間に成立に争のないA乙第四十五号証の一、二とA証人楠美つゆの証言によると、43は、別紙第二表記載のA原告主張の住所に居住していたのであるが、昭和二十六年三月十七日須藤善久と婚姻し、以来被告主張の住所を生活の本拠としている事実が認められるから、同人は本件選挙当日青森市に住所を有しなかつたものといわねばならない。

44、A証人菅原和子の証言によれば、44は昭和二十六年三月十七日別紙第二表の被告主張の住所欄記載の場所を住所とする菅原茂男と婚姻し、以来同所に居住している事実が認められるから、本件選挙当日には、青森市に住所を有しなかつたものといわねばならない。

45、A証人鈴木琢朗の証言によると、45は別紙第二表記載のA原告主張の住所に居住していたもので、昭和二十六年四月宮城県立盲唖学校に入学したけれども、依然右住所を生活の本拠としている事実が認められるから、同人は本件選挙当日青森市に住所があつたものといわねばならない。

46、A証人中村つぎの証言によれば、46は別紙第二表のA原告主張の住所欄記載の場所に居住していたけれども昭和二十六年三月橋本祐次と婚姻し以来被告主張の住所欄記載の場所に同棲して同所を生活の本拠としている事実が認められるから、同人は本件選挙当日、青森市に住所を有しなかつたものといわねばならない。

47、A証人吉田由雄の証言によると、47は昭和二十五年十月青森市古茶屋町から青森県東津軽郡野内村大字浅虫に転居し本件選挙当日、青森市に住所を有しなかつた事実が認められる。

48、A証人木村嘉市の証言(第一回)により成立を認め得るA甲第三十三号証とA証人斎藤彦作の証言によると48は青森市大字造道字浪打二百二十五番地に両親と共に居住し、青森県庁職員組合の会計係を勤めていたところ、昭和二十六年四月三日青森県東津軽郡三廐村字鉄小学校助教となり、赴任規定上、一週間内に赴任しなければならない関係で同月七日、一旦赴任したけれども、残務整理のため同月二十一日戻り、同月二十五日に至つて初めて布団類を持参し、三廐村に行つたものであるのみならず、両親はなお前記青森市の住居に居住し、48は独身であるため、三廐村では下宿し、時々両親のもとに帰り、両親方を生活の本拠としていた事実が認められるから、48は本件選挙当日青森市に住所を有したものといわねばならない。

49、A原被告間に成立に争のないA乙第五十一号証の四とA証人我満光義の証言を綜合すると、49は青森市大字浦町字橋本二百一番地に居住していたところ、昭和二十六年一月末頃から同市長島仲町我満専太郎方に転居し、本件選挙当日同所を生活の本拠としていたのであるが同年四月二十二日前の住所に居住するものとして本件不在者投票をした事実が認められる。而して弁論の全趣旨によれば、本件選挙については選挙区の定がなかつたことが認められるから同人の投票は無効ではない。

50、A証人木村嘉市の証言(第一回)により成立を認め得るA甲第三十六号証とA証人成田勝利の証言によると、50は青森県東津軽郡大野村所在の小野寺鉄工所に勤務し、同所で配給を受ける関係上、別紙第二表記載のA原告主張の住所から、大野村に転出の手続をしたけれども大野村に生活の本拠を移したわけではなく依然A原告主張の場所を生活の本拠としていた事実が認められるから本件選挙当日青森市に住所を有していたものといわねばならない。

51、A証人白取テルの証言によると、51は昭和二十五年頃から青森県東津軽郡筒井村大字浦町字奥野に家族と共に居住し、同所を生活の本拠とするものであつて、ただ配給を受ける便宜の為青森市山の手町の知人方に居住するものとして手続したにすぎず、本件選挙当日は、青森市に住所がなかつた事実が認められる。

52、53、A証人古川勇悦、古川みつえの証言によれば52、53両名は昭和二十六年四月十七日青森市大字浦町字橋本二百七十六番地から別紙第二表の被告主張の住所欄記載の場所に一家を挙げて転居し、同所を生活の本拠としているものであつて、本件選挙当日には青森市に住所を有しなかつた事実が認められる。

54、55、A証人外崎勝栄、外崎タヱの証言によれば、54、55、両名は夫婦であつて、別紙第二表記載のA原告主張の住所に居住していたところ、54が弘前駅に転勤となつたため、昭和二十六年四月四日頃一家を挙げて被告主張の住所に転居し、本件選挙当日には青森市に住所を有しなかつた事実が認められる。

56、A証人若狭カツの証言によれば、56は別紙第二表記載のA原告主張の住所に居住していたのであるが、昭和二十六年二月三日婚姻すると共に夫の住所である被告主張の場所に転居し、本件選挙当日青森市に住所を有しなかつた事実が認められる

57、A原被告間に成立に争のないA乙第五十七号証の一、二及びA証人木村嘉市の証言(第一回)により成立を認め得るA甲第七十三号証によれば、57は昭和二十五年九月頃青森市から東京都渋谷区代々木富ケ谷に転居し、本件選挙当日青森市に住所を有しなかつたことが認められる。

58、A証人西川栄一郎の証言によれば、58は昭和二十五年十月頃青森県東津軽郡野内村字浅虫に住所を有する平田某と婚姻し、以来同所に同棲していたのであるが、昭和二十六年一月頃病気のため青森市堤町の実家に帰り療養中、同年五月頃離婚の話がでて、同人と協議離婚するに至つたものであつて、本件選挙当日はなお野内村に生活の本拠を有し、青森市には住所がなかつた事実が認められる。

59、A証人長内滋夫の証言によると、59は青森市鍛治町一番地において歯科医を開業する実父と同居し、青森市の保健所に勤めていたのであるが、昭和二十六年一月頃妻が弘前市植田町で歯科医を開業することになつたので、妻とともに弘前市に転居して、青森市の保健所に通勤するつもりで、転出の手続をしたところ、当時酷寒中の汽車通勤の苦労と弘前市における借家に炊事場がなかつたことなどの関係上、同人は実父のもとに残り、妻のみ先ず転居し、同人が荷物をまとめ、弘前市に転居したのは同年五月になつてからである事実が認められる。そうすると、同人は本件選挙当日なお青森市に生活の本拠を有し、住所があつたものというべきである。

60、A証人鍛治田鈴子の証言によると、60は青森市大町において喫茶店営業をしていたところ、右喫茶店を売払い、昭和二十六年四月二十日頃別紙第二表記載の被告主張の住所に転居し、本件選挙当日には青森市に住所を有しなかつた事実が認められる。

61、A原被告間に成立に争のないA甲第八十二号とA証人木村嘉市(第二回)菊地弥七の各証言を綜合すると、本件選挙当日61は実家に帰つていて投票しなかつたのであるが、同人の亡夫の妹勝江が、自分宛の投票場入場券と間違え同人の入場券を持参して投票場に行き投票したため、基本選挙人名簿に61が投票したように記載されたにすぎず、又勝江自身選挙権を有していた事実が認められるから、61が本件選挙当日青森市に住所を有したかどうかを判断するまでもなく、右勝江の投票をもつて無効といふことはできない。

62、証人小野すゑの証言によると62は昭和二十五年六月頃佐藤美佐雄と婚姻したのであるが、同人の勤務先が交通不便な東北配電株式会社上松沢発電所であるため、実家のある別紙第二表のA原告主張の住所欄記載の場所を生活の本拠と定めて居住し美佐雄だけが勤務先で寝泊りしていた事実が認められるから、同人は本件選挙当日青森市に住所を有したものといわねばならない。

63、A証人室津哲三の証言によると63は青森市大字安方町百五十七番地に居住していたところ、昭和二十五年十一月頃弘前市在住の清藤和男と婚姻し同人方に同棲したのであるが、約一ケ月で病気となり、療養の為実家に帰り、その後仙台、東京、弘前等に在る病院を転々し、昭和二十六年六月頃漸く全快し、夫のもとに帰り同棲している事実が認められるから63は清藤と婚姻と同時に住所を弘前市に移し、本件選挙当日には青森市に住所を有しなかつたものといわねばならない。

64、A原被告間に成立に争のないA甲号八十一号証、A証人木村嘉市の証言(第一回)により成立を認め得るA甲第四十六号証、第四十七号証によれば64は本件選挙に投票していない事実が認められる。

65、A原被告間に成立に争のないA乙第六十五号証の一、二、及びA証人木村嘉市の証言(第一回)により成立を認め得るA甲第七十四号証によれば、65は本件選挙当日別紙第二表記載の被告主張の住所欄記載の場所を住所とするものであつて、青森市には、住所を有しなかつた事実が認められる。

66、A証人野口光三の証言によれば、66は昭和二十五年三月頃から青森市古茶屋町浜田とよの養子となり以来同所を住所としている事実が認めらるから、本件選挙当日青森市に住所があつたものといわねばならない。

67、A証人諏訪たきの証言によれば、67は昭和二十六年二月頃別紙第二表記載のA原告主張の住所から、被告主張の住所に転居し、本件選挙当日は青森市に住所を有しなかつた事実が認められる。

68、A原被告間に成立に争のないA乙第六十八号証の一、二、とA証人成田サダの証言によると、68は別紙第二表記載のA原告主張の住所に居住していたのであるが、夫正己死亡後昭和二十五年七月頃から実家である被告主張の住所に帰り、実家の農業の手伝をする傍ら屋台店を出して自らの生計を立てゝいる事実が認められるから、本件選挙当日、右実家を生活の本拠とし、青森市には住所がなかつたものといわねばならない。

69、A証人三上とせの証言によると、69は昭和二十四年頃から青森市大字古川字美法四番地三上とせ方に飯炊きとして雇われ、同所を生活の本拠としていたところ、五所河原在にいる長男の嫁のお産の手伝をするため昭和二十六年三月末頃、約一ケ月半の約定で暇をとり、その後、帰宅がおくれ、同年夏頃三上方に戻り、約十日程して後改めて三上方をやめて長男方に帰つたのであるが、その間生活の本拠を長男方に移したわけではなく、依然三上方を生活の本拠としていた事実が認められるから、69は本件選挙当日はなお青森市に住所を有したものといわねばならない。

70、A証人江良きぬえの証言によると、70は青森市大字大野字長島二十六番地の一の父の家に居住し、弘前医科大学に通学していたのであるが、昭和二十六年三月大学を卒業し、実習の為東京都に滞在しているにすぎず、本件選挙当日青森市に住所を有していた事実が認められる。

71、A原被告間に成立に争のないA乙第七十一号の二とA証人三上みどりの証言によると、71は青森市古川町に居住し、同市長島町中山美容所に美容師として勤めていたのであるが、昭和二十六年四月八日同所を辞め、同月九日別紙第二表記載の被告主張の住所に転居し本件選挙当日には青森市に住所を有しなかつた事実が認められる。

72、原被告間に成立に争のないA乙第七十二号証の一、二によれば、72は昭和二十五年十月頃名古屋市中川区八幡町に転居し、本件選挙当日は青森市に住所を有しなかつた事実が認められる。

73、A証人木村嘉市の証言(第一回)により成立を認め得るA甲第五十七号証によれば、73は昭和二十五年十二月勤先を探す為妻子を青森市大野字北片岡の住居に残し上京したが、容易に就職先がみつからぬため、度々青森市の住居に帰宅していたのであつて、昭和二十六年七月頃進駐軍要員として就職したので妻子と共に青森市から転居した事実が認められるから73は本件選挙当日なお青森市の前記住居を生活の本拠とし、青森市に住所を有したものといわねばならない。

74、A原被告間に成立に争のないA乙第七十四号証の一によれば、74は昭和二十五年五月頃青森市北片岡町から弘前市字桔梗町に転居し、本件選挙当日には青森市に住所がなかつた事実が認められる。

75、A証人三浦フジの証言によると、75は昭和二十五年十二月中旬頃青森県東津軽郡西平内村所在療養所に勤務する外川健太と婚姻し同療養所の寮に同棲し、本件選挙当日には青森市に住所を有しなかつた事実が認められる。

76、A証人藤巻松年の証言及び同証言により成立を認め得るA甲第五十九号証によれば、76は独身であつて両親等と別紙第二表記載のA原告主張の住所に居住し青森銀行に勤務していたのであるが昭和二十五年十月同銀行の大三沢町古間木支店に転勤し青森市の自宅から通勤していたところ、更に同町所在のドル交換所勤務となり、その宿舎に寝泊りするようになつて、主食の配給を受ける関係上、大三沢町に転出の手続をとり、その後昭和二十六年三月頃同銀行を辞めて三沢地区米空軍の将校クラブに勤務してからはその寮に寝泊りしていたのであるが、青森銀行支店勤務当時から、日曜毎に青森市の自宅に帰り、同所を生活の本拠としていた事実が認められるから、76は本件選挙当日青森市に住所を有したものといわねばならない。

77、A証人棟方たいの証言によれば77は青森市大字大野字北金沢百八十四番地に両親と共に居住していたところ、昭和二十六年四月十九日から東京都の大学の夜間部に入学したため上京し、通学のかたわら保健婦をしているものであつて、大学を卒業すれば青森市の自宅に帰るつもりである事実が認められるから、同人は東京都に行つた後も両親方を生活の本拠とし、本件選挙当日青森市に住所を有していたものといわねばならない。

78、弁論の全趣旨によれば、本件選挙に際し78の名義で投票された事実が認められる。しかし、A原被告間に成立に争のないA乙第七十八号証の一、二とA証人木村嘉市の証言(第一回)により成立を認め得るA甲第七十六号証を綜合すると、78は昭和二十五年十月二十日頃から家出して、本件選挙当日には、所在不明であつて、同人に、配布された投票所の入場券は、同人の母まゆにおいて元隣組長に手渡した事実が認められる。そうすると、前記投票は78本人がしたものではなく、何人かが右入場券を使用して78を装い投票したものといわざるを得ないから右投票は無効とすべきである。

79、A証人葛西政吉の証言によれば、79は青森駅構内の国鉄クラブに勤め、理髪係をして自ら生計を立てているものであるが、居住していた青森市大字大野字北金沢の実兄政雄方が狭いため、同家を出て新城駅前の妹の家に同居しその後昭和二十五年十二月頃、青森県東津軽郡新城村所在の鉄道寮に転居し、更に昭和二十六年三月九日青森市大字沖館字篠田百八十一番地寺山勇方に転居し、同月十九日妻帯し、同所に妻と同棲している事実が認められる。

右事実によれば、同人は青森市の実兄方に居住していたけれども、前記のように転居する毎に生活の本拠をも移していたものであつて、本件選挙当時には青森市の現住所に居住していたとはいえ、右住所に移転してから、選挙当日まで三ケ月にならないから、同人は選挙権がなかつたものといわねばならない。

80、A証人山形喜八郎の証言によれば、80は昭和二十六年四月二十日頃青森市大字沖館字篠田百九十九番地から青森県中津軽郡大浦村大字吉田字大浦九十一番地の一に一家を挙げて転居し、その際不在者投票をしたものであつて本件選挙当日は青森市に住所を有しなかつた事実が認められる。

81、A証人天坂正男の証言によると、81は青森市横山町に居住するものであるが、昭和二十五年九月三十日青函管理局函館局輸送長付に転任したけれども家族を右自宅に残し、単身赴任し、函館市相合町の鉄道寮に起居し、土曜、日曜毎に青森市の自宅に帰り、右自宅を生活の本拠としていたことが認められるから、本件選挙当日には、青森市に住所があつたものといわねばならない。

82、A原被告間に成立に争のないA乙第八十二号証の二、A証人工藤ツマの証言及び同証言により成立を認め得るA甲第六十三号証によると、82は昭和二十三年十一月頃から青森市古川に居住していたのであるが、昭和二十五年十二月中頃弘前市富田字富野紀本弥助と婚姻したところ、間もなく病気のため、青森市長島八十五番地に居住する姉の家に帰り、昭和二十六年四月九日頃離婚の話が出て協議離婚するに至つた事実が認められる。

右事実によれば、82は紀本との婚姻により住所を弘前市に移転し、その後昭和二十六年四月九日頃同人と正式に離婚し、その頃住所を青森市に移転したものと認めるべきであるから右移転のときから本件選挙当日まで三ケ月にならず、選挙権がなかつたものといわねばならない。

83、A原被告間に成立に争のないA乙第八十三号証の二とA証人柴野義夫の証言によると、83は昭和二十五年九月二十七日から青函鉄道管理局函館事務所に勤務しているものであるが、もと青森市酒井町の住居に居住し、戦災により右住居を焼かれてからは、同市大字沖館字篠田三十一番地に住家を建て、母、兄弟等と居住し、青森駅に貨物係として勤務し、前記事務所に転勤してからも未だ独身である関係から、単身赴任し、函館市にある寮に寝泊りし休日毎に青森市の自宅に帰り、前記自宅を生活の本拠としていた事実が認められるから、本件選挙当日83の住所は青森市にあつたものといわねばならない。

84、A原被告間に成立に争のないA乙第八十四号証の一によれば84は昭和二十五年十月中旬頃別紙第二表記載のA原告主張の住所から被告主張の住所に転居し、本件選挙当日青森市に住所を有しなかつた事実が認められる。

85、A証人佐藤喜三郎、増川スヱの証言によれば、85は佐藤喜三郎と夫婦の身分関係にあつたけれども昭和二十三年頃から実家である別紙第二表記載の被告主張の住所に帰り、昭和二十五年十二月正式に離婚したのであつて、本件選挙当日には青森市に住所を有しなかつた事実が認められる。

86、A原被告間に成立に争のないA乙第八十六号証の一、二、A証人小山内正繁の証言により成立を認め得るA甲第六十五号証と同証人の証言を綜合すると、86は昭和二十六年三月八日叔母にあたる青森市沖館字千刈三百七十九番地小山内きゑ方から青森県東津軽郡新城村大字相野所在鉄道寮に転出の手続をしているけれども、実際は、昭和二十五年十一月頃右叔母の家から青森市昭和町青森駅構内三菱石炭株式会社販売現場宿舎に移転し、その後右鉄道寮に入る予定で転出の手続をしたのであるが、寮に空室がないため、転居がおくれ、実際に右寮に居住するようになつたのは昭和二十六年五月二十日頃からである事実が認められる。そうすると、86は本件選挙当日青森市に住所を有していたものといわねばならない。

87、88、A証人春山イシ、春山留助、春山信恵の証言によると、87、88は夫婦であつて、後記89は長男春雄の妻であるところ、春雄が青函管理局函館駐在員に転勤したため、昭和二十五年八月頃青森市大字沖館字千刈百五十一番地の十号の自宅に長女敏子を残し、春雄等夫婦と共に函館市に転居したのであるが、函館市の住居が狭いため、約十日間居住しただけで87・88両名だけ青森市の自宅に帰り、本件選挙当日青森市に住所を有していた事実が認められる。

89、A証人春山イシ、春山留助、春山信恵の証言によれば89は前認定のとおり夫春雄と共に昭和二十五年八月頃函館市に転居し、以来昭和二十七年一月再び青森市に転居するまで時々函館市の両親のもとに行くことはあるけれども、子供五人と共に函館市に居住していたことが認められるから89は本件選挙当日青森市に住所を有しなかつたものといわねばならない。

90、A原被告間に成立に争のないA乙第八十八号証の一によれば、90は本件選挙当日青森市に住所を有しなかつた事実が認められる。

91、A証人新岡兼雄の証言及び同証言により成立を認め得るA甲第六十六号証によれば、91は昭和二十五年十一月十五日海上保安官補に採用され、呉市の訓練所に入所し、同訓練所の訓練を終つて後、昭和二十六年三月十四日八戸市にある八戸海上保安部勤務となり、巡視船「やつかり」乗組となつたものであるが、未だ独身であり、両親兄弟は青森市大字沖館字篠田十一番地に居住している関係上、同所を生活の本拠とするものである事実が認められるから、本件選挙当日青森市に住所があつたものといわねばならない。

92、A証人樋口綾子の証言によれば、92は青森市大字沖館字千刈に居住していたところ、昭和二十五年十一月鎌田敏夫と婚姻し、別紙第二表記載のA被告主張の住所に同棲し以来同所を住所とするものであつて、本件選挙当日には青森市に住所を有しなかつた事実が認められる。

93、A原被告間に成立に争のないA甲第八十三、八十四号証とA証人木村嘉市(第二回)川村ミツヨの証言を綜合すると、93は青森市大字沖館十四番地に居住していたところ、昭和二十五年十一月頃仙台市に居住する山田隆と婚姻し、本件選挙当日には青森市に居住せず、投票もしなかつたのであるが、昭和二十六年三月六日93の弟川村登と婚姻して同所に居住することになつた川村ミツヨが、本件選挙に際し配布せられた93の投票所の入場券を持参して投票所に入場したため、係員から恰も93が投票に来たもののように扱われて、投票用紙を交付され、投票したこと、しかし、ミツヨは登と婚姻するまでは同市油川町字千刈九十九番地に居住し当時基本選挙人名簿に登載せられて選挙権を有し、本件選挙に際し、前記投票以外には投票しなかつたことが認められ、又本件選挙について、青森市は選挙区の定がなかつたことは弁論の全趣旨により認め得るところである。そうすると、ミツヨは本件選挙権を有し婚姻により住所を移転しても選挙権を失うものではないからたまたま93の入場券を持つて投票所に入場し投票したからといつてこれを無効とすべきではない。

94、A原被告間において成立に争のないA乙第九十二号証によると94は青森市旭町に居住していたのであるが、昭和二十五年九月二十日夫常二と離婚して青森県南津軽郡野沢村大字樽沢の実家に帰り、その後同年十月二十三日青森市大字山手に居住するに至つたところ、更に昭和二十六年一月八日青森県上北郡下田村大字向山居住の某と婚姻し同所に同棲したけれども、同人とも離婚し、同年三月二十八日からは青森市大字古川字千刈に居住するに至つた事実が認められる。右事実関係によれば、94は本件選挙当日青森市に住所があつたけれども、昭和二十六年一月八日下田村大字向山居住の某と婚姻して青森市から同所に住所を移し、更に同年三月二十八日右某と離婚して青森市の住所に移転したのであるから選挙当日は青森市に転居してから未だ引続き三月を経過していない。従つて選挙権がなかつたものといわねばならない。

95、96、97、100、101、102、103。以上七名が朝鮮人であることは、A原被告間に争がない。そうすると右七名は本件選挙当日、昭和二十五年法律第百号附則第二項により選挙権がなかつたものといわねばならない。

98、A原被告間に成立に争のないA甲第八十号証とA証人木村嘉市(第二回)朴田吉雄、岡田ツルの証言によれば、98は本件選挙に際し投票しなかつた事実が認められる。

99、A原被告間に成立に争のないA乙第二十二号証の三とA証人朴田吉雄、岡田ツルの証言によれば、99は青森県東津軽郡小湊町大字小湊字小湊百三十三番地に本籍を有していたのであるが、前記朝鮮人である98と婚姻し、昭和二十五年一月十七日その届出をして、朝鮮慶尚北道青道郡金川面林多洞に入籍し、朝鮮人たる身分を取得した事実が認められるから、同人も昭和二十五年法律第百号附則第二項により本件選挙当日選挙権がなかつたものといわねばならない。

104、105、106。以上三名が本件選挙に際し不在者投票をしたことは、弁論の全趣旨によりこれを認める。而してA原被告間に成立に争のないA乙第二十七乃至二十九号証によると、104は昭和二十六年四月十六日、105は同月十八日、106は同月二十二日、いずれも本件選挙当日前死亡した事実が認められるから、同人等のした不在者投票は無効に帰したものといわねばならない。

107、108、本件選挙に際し、107・108両名の名義によつて投票されたことはA原被告間に争がない。

而して、A原被告間に成立に争のないA乙第三十、三十一号証によれば、107・108両名は、いずれも昭和十九年に応召渡満し、未だ帰還しないものであつて本件選挙に際し同人等に配布された投票所の入場券は家族の者によつて係員に返還された事実が認められる。右の事実関係からみると、前記投票は何人かゞ右入場券を使用して本人であるように装い投票したものと認めざるを得ないから、その投票は無効とすべきである。

以上のとおりであるから、被告が無効とした別紙第二表記載の1乃至108の投票中、35、38、45、48、49、50、59、62、66、69、70、73、76、77、81、83、86、87、88、91、の二十名の投票は、投票者本人が本件選挙当日青森市に住所を有し、選挙権があつたものというべきであるから、これを無効とすべきではなく、又61、64、93、98の四名は、いずれも投票していないのであるから、これを無効投票として計上すべきではない。しかし、その他の八十四名の投票は、本件選挙当日選挙権のなかつた者の投票又は選挙権者本人を装い第三者がした投票であるからこれを無効とすべきである。

以上認定に反するA甲第十六号証、第十九号証、第二十八号証、第二十九号証、第四十号証、第四十一号証、第五十六号証、第五十八号証、A乙第三十八号証の一の各記載は、前記各証拠に照し採用できないし、その他に以上の認定を覆すに足る証拠はない。

第二、B原告が無効を主張する分(109乃至314)。

別紙第二表記載の109乃至201のうち、114、127、145、146、150、151、156、161、166、167、168、169、171、174、175、176、177、179、181、182、183、193、194、195、196、197、の二十六名を除く、その他の六十七名が本件選挙に際し、投票したことは、B原被告間に争のないところである。

109乃至192。

右のうち、114、127、145、146、150、151、156、161、166、167、168、169、171、174、175、176、177、179、181、182、183、の二十一名については、同人等が本件選挙に際し投票した事実を認めるに足る証拠がないのみならず、原B被告間に成立に争のないB甲第一号証、B乙第一乃至第五号証、B証人木村嘉代吉の証言により成立を認め得るB乙第七十三号証と、B証人木村嘉代吉、阿部貞雄、後藤利吉の各証言、B鑑定人当麻武男、田村収一の各鑑定の結果、B検証の結果を綜合すると、右109乃至192の住居のある区域はいずれも青森市大字造道字浪打の範囲に属し、青森県東津軽郡浜館村大字松森字佃の範囲に属するものではない事実が認められるから、同人等は本件選挙当日青森市に住所を有したものといわねばならない。

193。B原被告間に成立に争のないB丙第一号証とB証人木村嘉市の証言によると、193は本件選挙に投票しなかつた事実が認められる。

194。B証人須藤妙子の証言によると、194は昭和二十四年十一月頃B原告主張の住所にいる須藤某と婚姻し、同所に同棲していたのであるが、昭和二十五年五月頃事実上夫婦別れをして、青森市長島南町の実家に帰り、本件選挙当日は青森市に住所を有していたこと、及び本件選挙に際し投票をした事実が認められる。被告訴訟代理人は、194は青森市の基本又は補充選挙人名簿に登載せられていない旨主張するけれども、これを認むべき証拠はない。そうすると、194は本件選挙権を有していたから同人の投票は無効ではない。

195。B証人渡辺知子の証言によれば、195は本件選挙に際し投票しなかつた事実が認められる。

196。B証人沢谷澄江の証言によれば、196は本件選挙に際し、投票しなかつた事実が認められる。

197。197が本件選挙に際し投票をした事実はこれを認めるに足る何等の証拠がない。

198、199。B証人入間才輔の証言及び同証言により成立を認め得るB乙第六号証によれば、198、199両名は、昭和二十四年十一月頃から被告主張の住所に居住し、本件選挙当日同所を住所としていた事実が認められる。

200、201。当裁判所が真正に成立したものと認めるB乙第七号証とB証人長尾勘太郎、曾我博の証言を綜合すると、200、201は夫婦であつて、昭和二十四年頃から青森駅前において青果物商を営むものであるが、店が手狭で居住できないため、青森市大字大野字北金沢百六十番地長尾勘太郎方に間借りし、昭和二十五年七月頃からは、青森県東津軽郡大野村の知人方に移り、更に昭和二十六年二月頃同村大字片岡五十七番地の四所在の家屋を買受け、居住しているのであつて、ただ、店舗の店番のため、200において、一ケ月のうち、半を店舗に寝泊りしているにすぎず両名の本件選挙当日の生活の本拠は大野村にあつた事実が認められるから、両名は本件選挙当日青森市に住所がなく選挙権がなかつたものといわねばならない。

202乃至218のうち213を除くその余の十六名。当裁判所が真正に成立したものと認めるB乙第八号証の一、二によれば、右十六名中、202、204、208、209、215の五名は本件選挙当日投票所において投票し、その余の者は不在者投票をした事実を認めることができる。B原告は、右投票は各本人がしたものではなく、何人かが各本人を装い投票したものである旨主張するけれども、これを認むべき証拠はない。又B原告は右十六名はいずれも本件選挙当日青森市に住所を有せず選挙権がなかつた旨主張するけれども、これを認むべき証拠もない。

213。B原被告間に成立に争のないB丙第二号証とB証人木村嘉市の証言によれば、本件選挙に際し、213本人は勿論、第三者が213本人を装い投票したことのない事実が認められる。

219。B証人木村嘉市、柿崎長十郎、柿崎貞造、柿崎ふみゑの各証言によれば、219は本件選挙に際し病気の為訴外柿崎ふみゑに依頼し不在者投票の手続をした事実が認められる。B原告は219の不在者投票は何人かが219を装い投票した無効のものである旨主張し、前記各証拠によれば、訴外柿崎岩太郎が219に依頼されたことがないのに、依頼されたように装い219の不在者投票の手続をしたけれども、その権限のないことが判明し、同人のした不在者投票は本件選挙当日前無効とせられ、219は改めて訴外ふみゑに頼んで前記のとおり不在者投票の手続をした事実が認められるから、219の投票は無効ではない。

B原告は、219は本件選挙当日青森市に住所を有しなかつた旨主張するけれども、これを認めるに足る証拠はない。

220。220の名義により不在者投票がなされたことは、B原被告間に争がない。

而して、B証人柿崎長十郎の証言によれば、訴外柿崎長十郎が220から不在者投票の手続を依頼され、医師の診断書を貰うため柿崎医院に行つたところ、既に220の不在者投票の手続をする為診断書を受領したものがあつたため、同訴外人は結局220の為不在者投票の手続をしなかつたことが認められる。これによると220名儀の不在者投票は特に立証のない限り220本人がしたものではなく、何人かが220の名義を使用してしたものといわねばならない。

221。当裁判所が真正に成立したものと認めるB乙第九号証によれば、221は本件選挙に際し、自ら投票したのであつて、第三者が221を装い投票したものではない事実が認められるから、右投票は無効ではない。

222。222が本件選挙当日前死亡したことは、B原被告間に争がない。

而して、B証人木村嘉市、対馬仁三の証言によると、本件選挙に際し、選挙権者に対し、投票所の入場券を配布し、投票のときこれを持参させ、係員において、右入場券の氏名と基本選挙人名簿又は補充選挙人名簿と対照し、選挙権者が投票した目印として右名簿の該当選挙権者の欄に係員が捺印のうえ選挙権者に投票させていた事実が認められるから、反証のない限り基本又は補充選挙人名簿に係員の捺印のある選挙権者は、本件選挙の投票をしたものと認むべきである。而して、B原被告間に成立に争のないB甲第六号証とB証人対馬仁三の証言によれば、B甲第六号証(上三上町基本選挙人名簿)の222の欄に係員対馬が捺印した事実が認められる。尤も右B甲第六号証中、対馬の捺印は抹消せられているのであるが、B証人福士多三郎の証言によれば、同証人が昭和二十六年五月二、三日頃調査した際には、抹消されていなかつた事実が認められる。

そうすると、222が本件選挙当日前死亡したのを奇貨とし、何人かが222を装い投票をしたものと認めざるを得ないから、右投票は無効というべきである。

223、224。223、224両名が本件選挙当日前死亡したことは、B原被告間に争ない。しかし、本件選挙に除し、223、224本人又は本人以外の者が223、224を装い投票した事実はこれを認むべき何等の証拠がない。

225、228、232、236、238、243、246、247、251、254、261、262、266、281、282、287、294、295、296、299、301、302、307。

本件選挙に際し、以上二十三名各本人又は第三者が各本人を装い投票した事実は、これを認むべき何等の証拠がない。

226。当裁判所が真正に成立したものと認めるB乙第十三号証の一、二によれば、本件選挙に際し、226本人が投票したこと及び226は昭和二十六年三月一日から青森県東津軽郡荒川村酸ケ湯温泉に居住していたけれども、同人の夫修治及び子供は青森市橋本に居住し、226は生計のため酸ケ湯温泉で女中奉公をしているにすぎず生活の本拠は青森市にあつた事実が認められるから226は本件選挙当日青森市に住所を有していたものというべきである。

227。当裁判所が真正に成立したものと認めるB乙第十四号証と、B証人佐藤兼勝の証言によると、本件選挙に際し227本人が投票したこと、及び227は青森市浦町字橋本二百八十一番地に家屋を所有し、母、弟と共に居住し、同所を住所とするものであつて、本件選挙当日には弘前市に居住していたけれども、右は、同市の紙芝居の同業者が一時北海道に行つたため、同業者が弘前市に帰つて来るまでの間、弘前市において紙芝居を営業するため母、弟を青森市の住居に置いて一時弘前市に滞在したにすぎず、生活の本拠を弘前市に移したものでない事実が認められるから、227は本件選挙当日青森市に住所があつたものといわねばならない。

229。当裁判所が真正に成立したものと認めるB乙第十五号証の一によれば、本件選挙に際し229本人が投票した事実が認められる。

B原告は、229は本件選挙前滝内村に転居し本件選挙当日青森市に住所を有しなかつた旨主張するけれども、滝内村が本件選挙前青森市に合併せられたことは、B原告の争わないところであるのみならず、当裁判所が真正に成立したものと認めるB乙第十五号証の一、二によれば、229は本件選挙当日別紙第二表記載の被告主張の住所に居住し、同所を住所としていた事実が認められる。

230。B証人千葉正二の証言及び同証言により成立を認め得るB乙第十六号証の一によれば、本件選挙に際し230本人が投票したこと、及び、230は、昭和二十四年九月十日以来別紙第二表記載の被告主張の住所に居住しているのであつて、昭和二十五年九月頃から妻が病気になつたので療養のため妻を浜館村の実家に帰し、配給を受ける便宜上、230も共に転出の手続をしたけれども、住所を浜館村に移したわけではなく、本件選挙当日同人の住所は依然として青森市にあつた事実が認められる。

231。当裁判所が真正に成立したものと認めるB乙第十七号証の一、B証人佐藤キノの証言によれば、本件選挙に際し231本人が投票したこと及び、231は昭和二十二年以来別紙第二表記載の被告主張の住所に夫と共に居住し、同所を住所とするものであつて、昭和二十五年十一月から昭和二十六年四月三日までお産の為函館市の夫の生家に行つていたことがあるけれども、その間住所を函館市に移転したものではない事実が認められる。

233。本件選挙に際し233の名義により投票のなされたことは、B原被告間に争がない。B原告は右投票は233本人がしたものではなく第三者が233を装い投票したものであつて無効である旨主張するけれども、これを認めるに足る証拠はないのみならず、B証人嘉瀬久の証言によれば、233は別紙第二表の被告主張の住所欄記載の場所に家屋を所有し、息子と共に居住し同所を住所とするものであるが、昭和二十五年十月頃青森県下北郡佐井村に嫁いた娘のところに遊びに行つたところ、身体が弱り、寒さの折から、翌年四月四日まで滞在するに至つたもので、その間佐井村に住所を移転したものではない事実が認められる。

234。B証人金子梅代の証言によると、本件選挙に際し、234本人が投票したこと、及び234は青森市大字造道字浪打九十番地に母梅代と居住し同所を住所としていたところ、昭和二十五年十一月頃北海道広尾郡大樹町にいる兄を頼り職を探しに行き、結局同町農業協同組合に就職できることとなつたので、昭和二十六年四月十日頃母親のもとに帰り、同年五月初頃、荷物を持つて大樹町に転居した事実が認められる。

そうすると、234は本件選挙当日にはなお青森市に住所を有していたものというべきである。

235。B証人葛西繁太郎の証言によると、本件選挙に際し、235本人が投票したこと、及び235は青森市大字造道字浪打九十番地に父繁太郎と居住し同所を住所としていたのであるが、昭和二十六年三月十七日北海道空知郡奈井江にいる知人を頼り職を探しに行き、芦別村三井鉱業所に就職できることとなつたため、同年四月十八日頃荷物をとりに父親のもとに帰り、同年五月二日頃芦別村に行つた事実が認められる。そうすると、235は本件選挙当日はなお青森市に住所があつたものといわねばならない。

237。当裁判所が真正に成立したものと認めるB乙第二十一号証とB証人兼平とせの証言によれば、本件選挙に際し237本人が投票したこと、及び237は青森市大字合浦町四百三十四番地に両親と居住し同所を住所としていたところ、昭和二十五年十二月頃公共職業安定所の世話で横浜市の方面に職を得たので同市に赴いたのであるが、同人は独身であつて、他に男の兄弟はなく、両親の面倒をみなければならない関係上横浜市に生活の本拠を移したわけではなく一時の出稼にすぎず本件選挙当時も青森市に住所を有した事実が認められる。

239。当裁判所が真正に成立したものと認めるB乙第二十三号証によれば、本件選挙に際し239本人が投票したこと及び239は青森市花園町二百十二番地に居住し、同所を住所とするものであつて、昭和二十五年十一月二日から昭和二十六年一月二十日までの間横浜市山田親弘方に行つていたことがあるけれども、右は親弘方のお産の手伝に行つていたにすぎず、住所を移転したものではない事実が認められる。

240。当裁判所が真正に成立したものと認めるB乙第二十四号証によれば、本件選挙に際し240本人が投票したこと、及び240は昭和二十五年十月九日弘前市から青森市上古川町に転居し次いで昭和二十六年三月二十五日同市古茶屋町に転居し、夫々住所としていたことが認められる。

241。本件選挙に際し、241の名義により投票がなされたことはB原被告間に争がない。B原告は右投票は、第三者が241を装い投票したものであると主張するけれどもこれを認めるに足る証拠はない。而して当裁判所が真正に成立したものと認めるB乙第二十五号証によれば、241は本件選挙当日青森市松原町八番地に居住し、同所を住所とするものである事実が認められる。

242。当裁判所が真正に成立したものと認めるB乙第二十六号証の一とB証人田沢錬治の証言によると、本件選挙に際し242本人が投票したこと及び、242は青森市大字塩町七番地の自宅に両親と共に居住し同所を住所としていたところ、昭和二十五年十月から鶴田町所在の鶴田保健所に勤務することになつたので一時同村に下宿したけれども、約一ケ月で下宿をやめ、自宅より通勤していたのであつて、下宿中も住所を同村に移したわけではなく、依然青森市の自宅を生活の本拠としていた事実が認められる。

244。本件選挙に際し、244名義で投票がなされたことは、B原被告間に争がない。B原告は、右投票は244本人がしたものではなく、第三者が244を装いしたものであると主張するけれども、これを認めるに足る証拠はない。而してB証人石橋よねの証言によると、244は東京都で戦災を受けてから、青森市横山町にいる娘はる方に居住し、寒い間だけ東京都にいる長男のもとに行くことはあるけれども、長男宅を住所とするものではなく、青森市の娘はる方を住所とするものである事が認められる。

245。B証人工藤つやの証言及び、同証言により成立を認め得るB乙第二十八号証の一によれば、本件選挙に際し245本人が投票したこと、及び245は青森市大字浦町字横山町に夫円次郎及び子供等と同居していたのであるが円次郎と不知となつたため、昭和二十六年二月頃から子供を夫の許に残したまま、青森県東津軽郡大野村字片岡に滞留しているけれども、未だ正式に離婚したわけではなく、又離婚する意思もない事実が認められる。そうすると245の本件選挙当日の住所はなお青森市にあつたものと認めるのを相当とする。

248、249。当裁判所が真正に成立したものと認めるB乙第三十号証、B証人三上正国の証言、同証言により成立を認め得るB乙第二十九号証の一によると、248、249両名は夫婦であつて、本件選挙に際し、両名とも各本人が投票したこと、及び両名は青森市大字古川字美法三十六番地に居住し、同所を住所とするものであるところ248が昭和二十五年十月鶴田町所在の鶴田保健所に勤務するようになつたので、赴任旅費の支給を受ける関係上、鶴田町に転出の手続をしたけれども、鶴田町に転居せず、右住所から通勤していた事実が認められるから、右両名の本件選挙当日の住所は青森市にあつたものというべきである。

250。当裁判所が真正に成立したものと認めるB乙第三十一号証によれば、本件選挙に際し、250本人が投票したこと、及び250は青森市北片岡町に住所を有し、本件選挙当日田名部町にいる弟の祝儀のため同町に行つたことがあるけれども、同町に住所を移したものではない事実が認められる。

252。当裁判所が真正に成立したものと認めるB乙第三十二号証の一乃至三によれば、本件選挙に際し、252本人が投票したこと、252は終戦以来青森市に居住し、昭和二十五年六月からは、同市長島三十七番地に住所を有するものであつて、北海道へ転出したことのない事実が認められる。

253。当裁判所が真正に成立したものと認めるB乙第三十三号証の一、B証人鳴海専五郎の証言によれば、本件選挙に際し、253本人が投票したこと、及び253は青森市南旭町九十八番地を住所とするものであつて、昭和二十五年十二月七日頃から昭和二十六年一月二十三日頃まで勤務先から出張を命ぜられ、宮城県大河原町に滞留したけれども、同町に住所を移したものではない事実が認められる。

255、256。証人佐藤英三、佐藤ちさの各証言によれば、本件選挙に際し、255、256両名本人が投票した事実が認められる。しかし、右各証言によれば、両名は夫婦であつて、青森市大字北金沢にある公舎から昭和二十五年十月三十日青森県東津軽郡浜館村大字松森字佃所在の青森県公舎に転居し、以来同所を住所とするものである事実が認められるから、両名は本件選挙当日青森市に住所を有せず選挙権がなかつたものといわねばならない。

257。当裁判所が真正に成立したものと認めるB乙第三十五号証の一乃至三によれば、本件選挙に際し257本人が投票したこと及び257は昭和二十一年頃から青森市沖館新田扇田九十九番地に居住し、同所を住所とするものであつて、大三沢町に転居したことのない事実が認められる。

258。当裁判所が真正に成立したものと認めるB乙第三十六号証の一乃至三によれば、本件選挙に際し、258本人が投票したこと、258は約九年前から青森市蜆貝町四十八番地に居住し、同所を住所とするものであつて、他に住所を移転したことがない事実が認められる。

259。本件選挙に際し、259名義で投票がなされたことは、B原被告間に争がない。B原告は右投票は、第三者が259本人を装い投票をしたものであると主張するけれどもこれを認めるに足る何等の証拠がない。而して、B証人上林源四郎の証言によると、259は青森市大字造道字浪打五十八番地に居住し、同所を住所とするものであつて、本件選挙当日は、北海道礼文島に鰊漁のため出稼に行つていて不在者投票をしたのであるが、住所を礼文島に移したわけではなく、依然青森市に住所を有していたものである事実が認められる。

260。B証人加藤ツネ子の証言によると、本件選挙に際し、260本人が投票したこと、及び260は昭和二十三年五月十四日から青森市大字造道字浪打七十七番地に居住し、同所を住所とするものであつて、本件選挙当時は肺結核のため、青森県東津軽郡野内村大字久栗坂、臨浦園に入院し療養していたため、配給を受ける関係上、同所に転出の手続をしていたけれども、同所に住所を移したものではない事実が認められる。

263。本件選挙に際し。263名義で投票がなされたことは、B原被告間に争がない。B原告は右投票は、263本人ではなく、第三者が263を装いしたものである旨主張するけれどもこれを認めるに足る証拠はない。B証人柳谷ミツの証言によると、263は青森市大字造道字浪打二十五番地の自宅に、母親と居住し、同所を住所とするものであつて、昭和二十六年四月二日頃から釧路市に出稼に行き、本件選挙当日青森市の自宅にはおらず、不在者投票をしたのであるが、釧路市に住所を移したわけではなく、依然青森市に住所を有する事実が認められる。

264、265。当裁判所が真正に成立したものと認めるB乙第四十号証の一、二、第四十一号証によると、本件選挙に際し264、265両名各本人が投票をしたこと、及び右両名は、昭和二十五年十一月二十四日青森市栄町から同市大字八重田字弓作市営住宅に転居し、以来同所を住所とするものであつて、B原告主張の原別村へは転居したことのない事実が認められる。

267。本件選挙に際し、267名義によつて投票がなされたことは、B原被告間に争がない。B原告は右投票は267本人がしたものではなく、第三者が、267を装いしたものであると主張するけれども、これを認めるに足る証拠はない。而して、B証人山内寛治の証言によると267は青森県筒井村に母、兄等と同居していたのであるが、昭和二十二年頃火災に会い、その後の住居が狭いため、母、兄と別れ、青森市大字大町二十一番地に居住し、東北電力株式会社青森支店に勤め、母、兄等と独立して生計を営み、同所を住所としているのであつて、昭和二十六年三月筒井村に転出の手続をしたけれども、右は配給を受ける便宜の為であつて、筒井村に住所を移転したものではない事実が認められる。

268。証人秋元京子の証言及び同証言により成立を認め得るB乙第四十三号証によると、本件選挙に際し268本人が投票したこと、及び268は昭和二十年以来青森市大字米町七十七番地に居住し、同所を住所とするものであつて、昭和二十六年二月二十日から翌月二十八日まで函館市の実家に行つていたけれども、右はお産のためであつて、住所を函館市に移転したものではない事実が認められる。

269。当裁判所が真正に成立したものと認めるB乙第四十四号証によると、本件選挙に際し、269本人が投票したこと、及び269は約十年前から青森市浜町百七番地の自宅を住所としている者であつて、本件選挙当日青森市に住所があつた事実が認められる。

270。B証人夏堀宇七郎の証言によると、本件選挙に際し、270本人が投票したこと、及び270は昭和十六年頃から、青森市大字塩町三十九番地に居住し同所を住所とするものであつて、B原告主張の天満村に転居したことのない事実が認められる。

271。当裁判所が真正に成立したものと認めるB乙第四十六号証の一、二によると、本件選挙に際し271本人が投票したこと、及び271は夫が警察予備隊員で任地を転々する為、実家である青森市大字鍛治町六十三番地に居住し同所を住所としていたのであるが、夫が函館市の任地に転任後暫く落付くことになつたため、昭和二十六年六月三日に至り初めて函館市の夫のもとに転居したものであつて、本件選挙当日青森市に住所があつた事実が認められる。

272。当裁判所が真正に成立したものと認めるB乙第四十七号証とB証人成田勝雄の証言によると、本件選挙に際し、272本人が投票したこと、及び272は青森市大字大野字北金沢百七十二番地に居住し、同所を住所とするものであつて、昭和二十六年一月三日から同月十五日までの間弘前大学附属病院に入院したため、弘前市に行つていたことがあるが、住所を同市に移したものではない事実が認められる。

273。B証人岩間たかの証言によると、本件選挙に際し、273本人が投票したこと、及び273は青森市大町カフエー日輪の女中をしていたのであるが、昭和二十五年十一月四日一旦同所をやめて秋田県にいる兄のもとに行つたけれども、三日間滞在しただけで、再び日輪に戻り、以来同所に居住し、本件選挙当日は同所を住所としていた事実が認められる。

274。当裁判所が真正に成立したものと認めるB乙第四十九号証の一乃至三によれば、本件選挙に際し、274本人が投票したこと、及び274は、青森市大字大野字長島四十番地に居住し、同所を住所とするものであつて、本件選挙前秋田に転居したことがない事実が認められる。

675。当裁判所が真正に成立したものと認めるB乙第五十号証によると、本件選挙に際し、275本人が投票したこと、及び275は本件選挙当日青森市大字大野字長島五十八番地に住所を有するものであつて、本件選挙前五所川原町に転居したことのない事実が認められる。

276当裁判所が真正に成立したものと認めるB乙第五十一号証によると、本件選挙に際し、276本人が投票したこと、及び276は青森市大字大野字長島百十四番地に住所を有し、本件選挙前熱海市に転居したことのない事実が認められる。

277。278。B証人深堀勘之丞の証言によると、本件選挙に際し、277、278両名各本人が投票したこと、及び右両名は夫婦であつて、青森市八重田字矢作二十五番地に居住し、同所を住所としていたのであるが、昭和二十六年五月二日277の父が死亡したため、同月十七日に至り右住居を引払い、郷里である青森県南津軽郡女鹿沢村大字増館字若柳百九十一番地に転居したのであつて、本件選挙当日は青森市に住所があつた事実が認められる。

279。証人吉田武美の証言によれば、本件選挙に際し、279本人が投票したこと、及び279は青森市八重田字矢作に居住し、同所を住所としていたのであるが、昭和二十六年四月二十八日に至り函館市に転居したのであつて、本件選挙当日は青森市に住所があつた事実が認められる。

280。当裁判所が真正に成立したものと認めるB乙第五十四号証の一によれば、本件選挙に際し280本人が投票したこと、及び280は青森市八重田字矢作二十五番地に居住し、同所を住所とするものであつて、商売上時々東京都に行くにすぎず、本件選挙前住所を東京都に移転したことがない事実が認められる。

283。B証人板橋ミヨの証言によると、本件選挙に際し、283本人が投票をしたこと、及び283は青森市相馬町に居住し、同所を住所としていたところ、夫薫が宮古市にある三陸高等学校に転勤することとなり、薫は昭和二十六年四月三日頃任地に赴いたけれども、283はその頃お産をして、夫と共に出発できぬため、同人のみ暫く青森市に残り体力の回復をまつこととし、一旦同市大字造道字浪打五十七番地に転居したのであるが、同年五月三日に至り宮古市の夫のもとに転居するに至つたのであつて、夫の赴任と共に生活の本拠を宮古市に移す意思のなかつたことが認められる。そうすると、283は本件選挙当日なお青森市に住所を有していたものというべきである。

284。当裁判所が真正に成立したものと認めるB乙第五十六号証の一とB証人成田英彦の証言によると、本件選挙に際し、284本人が投票したこと、及び384は本件選挙前から青森市大坂町に居住し、同所を住所としているものであつて、弘前市にいる母が病気をした為、昭和二十五年十二月頃妻を看病にやる際284も妻と共に弘前市に転出の手続をしたけれども、弘前市に住所を移したわけではなく、依然前記住所に居住し本件選挙当日青森市に住所があつた事実が認められる。

285。B証人島山英三の証言によると、285は本件選挙に際し投票したのであるが、昭和二十五年十月頃青森市大坂町から青森県東津軽郡大野村大字大野字金沢九十八番地に転居し、以来同所を住所とするものであつて、本件選挙当時には青森市には住所がなかつた事実が認められるから285は本件選挙権を有せず前記投票は無効といわねばならない。

286。当裁判所が真正に成立したものと認めるB乙第五十七号証によると、本件選挙に際し、286本人が投票したこと、及び286は青森市大字古川字美法四番地に居住し、同所を住所とするものであつて、昭和二十五年八、九月頃約一ケ月間千葉県に滞在していたことがあるけれども、右は、東邦薬科大学における講習を受けるためであつて、住所を移転したものではなく、本件選挙当日は青森市に住所があつた事実が認められる。

288。当裁判所が真正に成立したものと認めるB乙第五十八号証の一乃至三によれば、本件選挙に際し、288本人が投票したこと及び288は青森市新町百六十三番地を住所とするものであつて、B原告主張の大三沢町に転居したことがない事実が認められる。

289。290。291。当裁判所が真正に成立したものと認めるB乙第五十九号証の一、二によれば、本件選挙に際し、289、290、291の三名各本人が投票したこと、右三名は青森市新町二十二番地の自宅に居住し、同所を住所とするものであつて。289は昭和二十五年十月一日附で青森郵便局から五所川原郵便局に転勤したけれども、昭和二十六年二月十五日から同年四月九日まで五所川原町に滞在しただけでその他は青森市の自宅から通勤し、右五所川原町滞在中も家族である290、291は右青森市の自宅に居住していたのであつて、住所を五所川原町に移転したものではない事実が認められる。

292。293。当裁判所が真正に成立したものと認めるB乙第六十号証の一、二、第六十一号証とB証人二階茂雄の証言によると、本件選挙に際し、292、293両名各本人が投票したこと、及び右両名は夫婦であつて、青森市大字造道字浪打六百六番地に居住し、同所を住所とするものであるところ、292において、昭和二十五年十一月六日から昭和二十六年一月十七日まで、勤務先の日本通運株式会社青森支店から、宮城県船岡町に出張を命ぜられ、その間同所に滞在したことはあるけれども、同所に住所を移転したものではなく、本件選挙当日青森市に住所を有していた事実が認められる。

297。B原被告間に成立に争のないB甲第五十一号証とB証人斎藤昭三の証言によると、297は、昭和二十四年八月三十一日三本木地区署沼崎巡査部長派出所に、昭和二十五年九月二十五日からは、三本木地区署に警察官として勤務し、本件選挙に際しては仙台市にある警察学校に入校の為昭和二十六年四月二十一日頃不在者投票をしたのであるが、同人の両親は青森市大字八重田に居住し、父から生計の補助を受け、まだ独身であるため、沼崎派出所勤務中は、右派出所に寝泊りし三本木地区署に転勤後は下宿住居をして、時々両親のもとに帰り、右両親方を生活の本拠としていた事実が認められる。そうすると297の本件選挙当日の住所は青森市にあつたものというべきである。

298。当裁判所が真正に成立したものと認めるB乙第六十三号証とB証人小笠原弥一郎の証言によると、本件選挙に際し、298本人が投票したこと、及び298は青森市大字八重田字浜野二十二番地に居住し同所を住所とするものであつて、昭和二十六年四月九日から同月十八日まで東京都に滞在していたことがあるが、右は勤務先の青森県庁から出張を命ぜられたためであつて、東京都に住所を移転したものではなく、本件選挙当日には青森市に住所があつた事実が認められる。

300。本件選挙に際し300の名儀で投票がなされたことは、B原被告間に争がない。B原告は右投票は、本人がしたものではなく、第三者が300を装い投票したものであると主張するけれども、これを認めるに足る証拠はない。而して、当裁判所が真正に成立したものと認めるB乙第七十一号証によると、300は青森市沖館字千刈百五十七番地に居住し、青森労働基準監督署に勤務していたのであるが、昭和二十四年九月一日三本木労働基準監督署に転勤したため、同町にある合宿所に寝泊りしているけれども、家族は依然青森市の住居に居住させ、同所を住所としている事実が認められる。

303。B証人溝江みつゑの証言によると、本件選挙に際し、303本人が投票したこと、及び303は昭和二十五年十二月頃から、社交喫茶店の女給として、三本木町、大三沢町、野辺地町の喫茶店を転々して働いていたのであるが、両親は青森市大字大野字長島二十八番地に居住している関係上、同所を住所としている事実が認められる。

304、305。当裁判所が真正に成立したものと認めるB乙第六十五号証の一によると、本件選挙に際し、304、305両名本人が投票したこと、及び右両名は青森市大野字長島二十三番地に住所を有するものであつて、昭和二十五年十二月から昭和二十六年六月まで大三沢町に転出の手続をしたけれども、右は、304が米軍三沢基地憲兵隊通訳として勤務の都合上にすぎず、住所を大三沢町に移したものではない事実が認められる。

306。本件選挙に際し306名儀で投票のなされたことはB原被告間に争がない。而して当裁判所が真正に成立したものと認めるB乙第六十六号証の一によれば、306本人は右投票をしたものではない事実が認められるから、右投票は第三者が306本人であるように装い投票した無効のものといわねばならない

308。当裁判所が真正に成立したものと認めるB乙第六十七号証の一によれば、本件選挙に際し、308本人が投票したこと、及び308は青森市北片岡百八十二番地に居住し、同所を住所とするものであつて、昭和二十五年十月二十日から約二十日間弘前市に行つたことはあるが、右は看護婦の講習を受ける為であつて、弘前市に住所を移したものではない事実が認められる。

309、310。本件選挙に際し、309本人が投票したことは、B証人高橋定雄の証言により認められる。又310名儀によつて投票がなされたことは、B原被告間に争がない。B原告は右310名儀の投票は本人がしたものでなく、第三者が310を装い投票したものである旨主張するけれども、これを認めるに足る証拠はない。而してB証人高橋定雄の証言によると、309、310両名は、青森市大字大野字北片岡百八十一番地に居住し同所を住所とするものであつて、B原告主張のように東京都に転居したことのない事実が認められる。

311。当裁判所が真正に成立したものと認めるB乙第六十九号証の一とB証人早坂正市郎の証言によると、本件選挙に際し311本人が投票したこと、及び311は青森市大字大野字北片岡百六十三番地に居住し、同所を住所とするものであつて、昭和二十五年十一月四日から昭和二十六年二月二十六日まで札幌市に行つていたけれども、右は鉄道講習学校に鉄道公安官としての講習を受けるためであつて、住所を札幌市に移したものではない事実が認められる。

312。B証人小田誠の証言によると、本件選挙に際し、312本人が投票したこと、及び312は昭和二十五年十月頃から昭和二十六年六月頃まで浅虫温泉東奥館の料理人として、同館に寝泊りしていたけれども、母、妻子は青森市寺町五十四番地に居住し、同所を住所とするものである事実が認められる。

313、314。本件選挙に際し、313、314両名名儀により投票がなされたことはB原被告間に争がない。B原告は、右投票は、本人がしたものでなく、第三者が各本人を装い投票したものである旨主張するけれども、これを認めるに足る証拠はない。而して、B原被告間に成立に争のないB甲第四十七、四十八号証によれば両名は本件選挙当日前に既に青森市から野内村に転居し、野内村の補充選挙人名簿に登載されている事実が認められるから、反証のない本件では、両名は本件選挙当日には青森市に住所を有せず、選挙権がなかつたものといわねばならないから、右各投票はいずれも無効というべきである。

以上のとおりであるから、B原告が無効であると主張する別紙第二表記載の109乃至314の投票中、200、201、220、222、255、256、285、306、313、314の十名の投票は、本件選挙当日選挙権のない者の投票又は選挙権者本人を装い第三者がした投票であるから無効というべきであるけれども、その他は投票されていないために有効、無効の問題を生じないもの又は選挙権をもつ者が投票したものであつてその投票は無効ではない。

以上認定に反する、B甲第二号証、B乙第七十号証の各記載、B証人和田善作、川崎みつ、小泉要吉、越田豊一、木村嘉市、対島仁三の各証言は採用できないし、その他に以上の認定を覆すに足る証拠はない。

そうすると、本件選挙につき選挙会が有効とした投票中には第一で認定した八十四票、第二で認定した十票、合計九十四票の無効投票が存するわけであるが、これ等無効投票は立候補者の有効得票中に算入され、しかも何れの候補者に帰属したかは、これを明らかにすることを得ないのである。ところで、所謂潜在的無効投票がある場合、各候補者の有効投票の計算については、昭和二十七年法律第三百七号公職選挙法の一部を改正する法律附則第二項により、本訴提起後である昭和二十七年八月十六日から公職選挙法第二百九条の二の規定が施行せられ、当時係属中の事件にも適用をみることになつたので、右規定によつて、各候補者の有効投票の計算をしなければならない。

本件選挙の開票区が第一から第十まで設けられ、選挙会において決定した各開票区における有効投票総数及び各立候補者の得票数がそれぞれ別紙第一表記載のとおりであること、並に前記九十四票の無効投票のうち、222を除き、その他の無効投票がそれぞれ別紙第二表記載の開票区の投票であることは、A原被告間に争がなく、B原被告の関係において弁論の全趣旨によつてこれを認める。

又222の無効投票が第七開票区の投票であることは、弁論の全趣旨によつて明かである。そうすると、各開票区別の無効投票数は、

第一開票区  十七票

第二開票区   八票

第三開票区 二十三票

第四開票区   八票

第五開票区   六票

第六開票区   六票

第七開票区  十二票

第八開票区   十票

第九開票区   三票

第十開票区   一票

となるから、各開票区ごとに右無効投票数を各候補者の得票数に応じて按分して得た数は別紙第三表記載のとおりであつて(但し小数第三位以下切捨)、これをそれぞれ各開票区ごとに各候補者の得票数から差引いた数及びその合計は別紙第四表記載のとおりであるから、得票順に別紙第四表記載の確定順位第一位以下第三十六位までの三十六名が本件選挙の当選人となるわけである。そして右の三十六名は別紙第一表記載の第一位から第三十六位までの候補者と同一であるからして(中間の得票順位に多少の変動はあるが)、結局前記無効投票の存在は本件選挙の当選の結果に影響を及ぼすものではない。

そうすると、被告が、別紙第一表記載の第三位当選人三上惣之進以下の当選を無効とすべきであるとのB原告等の訴願についてした裁決中、右第三位以下第十七位当選人木村繁吉までの十五名の当選を無効とすべきであるとの部分を棄却した点は結局正当であるけれども、第十八位当選人古木安太郎以下第三十六位当選人間山美都夫まで十九名の当選を無効とした部分は結局適法なものとは云い得ないから取消を免れないものといわねばならない。

よつて、A原告の本訴請求は正当として認容すべく、B原告の本訴請求は失当であるから、これを棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八十九条第九十条第九十三条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 谷本仙一郎 猪瀬一郎 石井義彦)

(別表省略)

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